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“そば文化”のルーツは信州にあり!?長野県を代表する郷土食「信州そば」のご紹介

いよいよ新そばの季節が到来。”そばといえば信州”というほど、長野県は全国を代表するそばどころ。その歴史は奈良時代まで遡ります。全国に山岳修験道を広めたとされる役小角(えんのおづぬ)が修行中、現在の伊那市を訪れた際、もてなしのお礼に携行していたそばの実とその栽培方法を伝えたのが、長野県におけるそば栽培の始まりとの説が残っています。また、『続日本紀』によると、722年には救荒作物としてそばの栽培が奨励されていたそう。鎌倉時代に入り、中国から石うすが伝わりそば粉ができるようになると、食べ方のバリエーションが広がりました。

長野県におけるそばの作付面積の推移について

長野県は寒暖の差があり、そばの栽培条件に適していることから、良質のそばが生産されています。そんな長野県におけるそばの作付面積は、年々増加傾向にあります。

出典:長野県農政部農業技術課

長野県におけるそばの収穫量の推移について

長野県におけるそばの収穫量は、作付面積同様右肩上がりで増加しています。作付面積に対し収穫量の変動が大きい理由として、毎年の気象条件の影響があげられます。

出典:長野県農政部農業技術課

山々に抱かれた地での栽培に適していたそばは、県内各地の風土や歴史の中で引き継がれ、人々の日常の食に欠かせないものとなっています。今回は、そばの歴史に触れその所以を紐解きます。

長野県の新しいブランド「信州ひすいそば」について

~色鮮やかで香り高いそば~

長野県で誕生した新しいブランド「信州ひすいそば※」。

長野県野菜花き試験場が10年の歳月をかけて育成しました。

製粉前の実の状態から鮮やかな緑色をしており、そば粉の色も他のそばに比べると緑色が濃く、香りも良いのが特徴です。

信州ひすいそばについて(詳しくはこちら)

(長野県ホームページにリンクします)

※「信州ひすいそば」は長野県の商標登録です。

「信州そば」登録商品をチェック!

詳しくはこちら

木曽路から全国へと広がる「そば切り」~そば切り発祥の地 本山そばの里企業組合(塩尻市)~

そば切り発祥の地本山そばの里企業組合 理事長の落合功さん

中山道69次32番目の宿場町として栄えた塩尻市の本山宿。1707年刊の『風俗文選』に「そば切りといっぱ、もと信濃国本山宿より出て、あまねく国々にもてはやされける」という記述も残されるなど、信州のそば文化を語る上で重要な土地でもあります。かつて、本山宿には10数件の旅籠があり、多くの旅人にそばを提供していました。電車の開通など、時代が移り変わり、今ではその面影をあまり見ることはできませんが、家庭レベルではそば切りの伝統は途切れることなく、受け継がれてきました。つなぎに卵や長芋を入れたりと、各家庭ごとの味で「ハレの日の食」としてそばが食されてきた本山宿。しかし、時代とともに、自宅でそばを打つ家庭も段々と少なくなっていきました。

「本山宿のそばにまつわる歴史や文化を絶やしてしまうわけにはいかないと有志が集まり、地域の各家庭に伝わるそば打ちの技術や味を後世へ伝えるとともに、地域振興にもつなげるべく、1991年に『本山手打ちそば振興会』を発足、1994年には『そば切り発祥の地本山そばの里企業組合』を創設しました」と話すのは同組合の理事長を務める落合功さんです。地域のイベントに出店したり、1995年には信州そば発祥の地として活動する「伊那そば振興会」とともにドイツに渡り、デュッセルドルフ日本総領事公邸でそばを振る舞うなど、国内外にそば文化を伝える活動を行っています。

「本山そばの里」でのそばの脱穀の様子。地元産の原料にこだわり、近隣の畑で栽培された「信濃一号」という品種を自家製粉したそば粉を使用しています。

「本山そばの里」には地元の女性たちを中心に、約15名のそば打ち職人が在籍。

本山のそばの味を広く伝える活動の一環として、手打ちそばを提供する「本山そばの里」も組合創設とともに開店しました。「本山そばの里」で提供されるそばは、細く、少し黒い色合いが特徴です。これは、かつて宿場町で提供されていたそばを再現しているそう。細く切ることで香りが立ち、のどごしも良くなるといいます。また、そばを打つ際、切ったときの長さを均一にするため、四角くなるようにのしていくのが一般的ですが、昔ながらの製法を忠実に再現するため本山では丸くなるようにのし、手で押さえながら切るのも特徴です。原料も地元産にこだわり、近隣の畑で栽培される「信濃一号」という品種を、自家製粉したそば粉を使用しています。

「地域で代々受け継がれてきた“そば切り”という尊い文化を継承し、後世に受け継ぐ担い手として、これからも活動していきたい。」と落合さん。本山そばの里の活動は続きます。

多い日には1日100人を超えるお客様にひきたて、打ちたて、ゆでたてのそばを提供。

「本山そばの里」店舗とそば畑。年末になると、地域のみならず、県内外から年越しそばの注文が入るといいます。

そば切り発祥の地 本山そばの里企業組合

DATA

住   所  :長野県塩尻市大字宗賀4401-1

T      E     L  :0263-54-6371

H     P  :http://www.alps.or.jp/motoyama-sobanosato/

干しそば発祥の地 長野市で香りや喉越しにこだわるそば製造~柄木田製粉株式会社(長野市)~

代表取締役社長の柄木田豊さん(左)と川中島工場長の山内善貴さん(右)

打ち立てのそばは、香りが高く、喉越しなどが楽しめる反面、保存がきかないという一面も。そこで、保存性の高いものをと開発されたのが「干しそば」です。明治時代に長野市のそば店「大和屋本店」の塩入三代吉氏が生そばを乾燥させ、製品化したのが始まりと言われています。その後、県内各地で干しそばが作られるようになり、今でも長野県が圧倒的なシェアNo.1を誇ります。技術の進歩や職人達の試行錯誤の末、製造の過程で切れてしまうなどの理由で乾麺では難しいとされていた、十割蕎麦や、食塩不使用でそば湯も楽しむことができる商品など、人々のニーズに沿った干しそばも生み出されています。

そんな「干しそば発祥の地」長野市で昭和27年に小麦粉の製粉工場として創業した柄木田製粉。昭和34年から乾麺の製造を開始。そばをはじめ、うどん、ひやむぎ、そうめんなど、麺類全般を手掛け、そばについては8割、7割を中心に蕎麦粉の配合、麺の太さなどを変え、さまざまな種類を製造しています。

信州そばの品質や技術の向上を図ることを目的に開催される「信州そば品評会」の様子。長野県内の製麺事業者が互いに切磋琢磨しあいながらよりよい製品づくりに取り組んでいます。

柄木田製粉の川中島工場。

「小麦粉の製造を行っていることから、そば粉との相性を見て、つなぎに使う小麦粉を選ぶことができることが強みです。」と話すのは社長の柄木田豊さんです。そばの産地によって特徴が異なるほか、つなぎの小麦粉によってもまったく違う味わいのものができるのだといい、お客様の声を大切に、香りや喉越しにもこだわった乾麺づくりをてがけます。うどんやひやむぎなど、麺類の家庭での消費量が伸び悩む中、昨今の健康志向の高まりもあり、そばの需要は伸びているといいます。工場長の山内さんに美味しい食べ方を聞いてみたところ、茹でたそばをトマトやキュウリ、かいわれなどと一緒に皿に盛ってサラダ仕立てにし、ドレッシングをかけたり、パスタの麺の代わりに使ったりしても美味しいとのこと。油で揚げて酒のおつまみとしてもオススメとのことで、さまざまな味わいが楽しめる乾しそばはまさに万能な食材です。

また、生そばの味わいと保存性が両立したそばを作りたいと同社が初めて製造販売したのが「半生そば」。りんご酢をメインとする製造会社とともに開発を進め、生そばの食味や風味、喉越しを残しながらも常温で90日ほど保存可能な麺が生み出されました。干しそば、半生そばは近年では海外での販売も伸びているそうで、信州の気候・風土に根付き、育まれてきたそばは今や海外へもその広まりを見せています。

柄木田製粉の人気商品。顧客のニーズに合わせた商品を展開します。

柄木田製粉のウェブサイトでは、様々なそばのアレンジレシピが紹介されています。

柄木田製粉株式会社のページをチェック!

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伊那の地から広がった信州のそば文化~信州そば発祥の地 伊那そば振興会(伊那市)

信州そば発祥の地伊那そば振興会 会長の飯島進さん

「天下第一の桜」とも称される高遠城址公園を有する伊那市。「信州そば発祥の地」と銘打った地域振興に取り組むこの地では、戦国時代から地大根の汁に、囲炉裏で焼いた味噌を溶き入れた漬け汁のそば「からつゆそば」が食されていたといわれ、各家庭の中でその食文化がひきつがれてきました。

江戸時代には高遠藩の城下町として栄え、江戸幕府2代将軍徳川秀忠の四男として生まれた保科正之(幼名:幸松)は初代高遠藩主 保科正光に預けられると7歳から26歳までこの地で育てられました。その後、高遠藩3万石から山形藩20万石を経て会津藩23万石へと出世していく正之。転封にあたって農民やそば職人まで共に連れて行ったと伝えられており、その際に高遠のそば文化が各地に伝えられたと言われています。信州に根付いていたそばの文化を外へ伝え広めたということが、伊那市が「信州そば発祥の地」とされる所以です。

しかし、つい20年ほど前までは伊那市内には手打ちそばを提供する店が1軒しかなかったといいます。というのもこの地には「そばが打てないとお嫁にいけない」との言葉があるほど、そばは家庭で食されるのがあたり前で、外食の商売としてはなかなか成り立たなかったのです。とはいえ、桜の時期には30~40万人もの観光客が訪れる伊那市高遠。この地を訪れたからにはそばが食べたいという声も多く聞かれました。

「信州そば発祥の地」と銘打ち、地域振興に取り組む伊那市。春には「天下第一の桜」とも称される「高遠城址公園」の桜を求めて多くの観光客が訪れます。

辛み大根のおろし汁と焼き味噌で食べる「高遠そば」。

「『会津には高遠から伝えられたことにちなみ名づけられた高遠そばがあるのに、なぜ本場であるはずの高遠で、そのそばが食べられないのか』といった声、そして高遠を訪れる人にも『手打ちのそばを提供したい』という地元飲食業の思いが、転作奨励作物としてそばを推奨したいという農協や行政の考えとも合致し、各家庭の中で引き継がれてきたそばの味や文化を外に向けても伝えていこうと発足したのが『信州そば発祥の地 伊那そば振興会』です。」と教えてくれたのは、同振興会で会長を務める飯島進さんです。

まずは、「高遠そば」のある会津若松を訪れ、その由来や歴史を改めて探るところから活動をスタート。高遠から伝わったそばとして、人々に「高遠そば」が親しまれている様を目の当たりにした振興会の面々は、会津若松から名称を逆輸入し今まで「からつゆそば」で親しんいたそばを、「高遠そば」として高遠の地で発展させる活動に取り組み始めました。大都市圏でのPRのほか地元での普及啓発など、地道な活動が実を結び、1軒しかなかった手打ちそばの店舗数も今では14軒にまで拡大しています。

更なる一手として、伊那そば振興会が5年ほど前から取り組んでいるのが「入野谷在来」というそばの在来種を復活させるプロジェクトです。「地元のお年寄りから“昔のそばは小粒で味が濃くおいしかった”との話を昔から聞かされていました。調べてみると、戸隠などにも引けを取らないといわれるそばどころの入野谷地区では、古くは在来種が食されていたことがわかったんです。なんとかしてこの在来種を復活させ、江戸時代の殿様も食べていたであろう、究極の高遠そばの味を再現できないかとの思いが募っていきました。」と飯島さんは話します。

県の野菜果樹試験場にわずかに残されていた20gの種からスタートしたこの「入野谷在来復活夢プロジェクト」。初年度はたった6粒しか発芽しなかったといいます。その後、栽培と収穫を繰り返す中で、昨年は2,400キロほど収穫できるまでに育ち、現在市内9店舗でその味を楽しむことができます。

信州そば発祥の地 伊那そば振興会(伊那市観光協会内)

DATA

住   所  :長野県伊那市下新田3050

T      E  L  : 0265-78-4111(代表)(伊那市観光協会内)

信州そば発祥の地 伊那そば振興会についてはこちら

いかがでしたか?信州そばにもいろいろな品種や製法、盛り付け方、食べ方があり、地域によって様々な違いがあるのも魅力の一つ。是非、当サイトでもチェックしてみてください!

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