郷土の文化として古くから日本で親しまれてきた漆器。なかでも経済産業大臣指定伝統的工芸品のひとつである「木曽漆器」は江戸時代に中山道の旅人の土産物として人気を集め、次第に日用品として発展し、昭和の高度成長期には木曽漆器の座卓が家庭や旅館の必需品となりました。今では地域の職人がそれぞれに伝統の技を進化させながら、次世代への継承を進めています。そんな木曽漆器で新しい日常に彩りを添えてみませんか。
「伝統的工芸品」とは ~国(経済産業大臣)指定と長野県(知事)指定の2種類があります~ 「伝統的工芸品」とは、日常生活の中で古くから使われてきた工芸品であり、今もなお伝統的な原材料を使い、伝統的な技術・技法により手工業的に製造されている工芸品です。 国(経済産業大臣)指定と長野県(知事)指定の2種類があります。指定を受けたときは、伝統的工芸品であることを示す表示を使用することができます。また、国や県では販路開拓、新商品開発、後継者の育成確保など伝統的工芸品産業の振興を行っています。
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伝統工芸であり伝統産業である木曽漆器~塩尻・木曽地域地場産業振興センター(道の駅木曽ならかわ)~
京漆器や輪島塗等、城下町などで美術工芸品として発展してきた漆器がある一方で、中山道の宿場町として栄えた木曽の地で育まれた木曽漆器は、人々の暮らしに直結した生活用品として発達してきました。そんな木曽漆器の一大産地、塩尻市木曽平沢地区にはおよそ100軒の漆器店が軒を連ね、多くの職人が活躍中。「臨機応変に対応ができ、勉強熱心な職人が多い」と話すのは塩尻・木曽地域の地場産品の販売・振興、産地活性化事業などを行う「塩尻・木曽地域地場産業振興センター」の専務理事の太田洋志さんです。
そうした職人たちの努力と技術力が評価され、約20年前からは産地一丸となって文化財の修復にも取り組み、これまでに広島の厳島神社や名古屋城本丸御殿、上野東照宮などの復元工事を手がけてきました。漆工町として全国初の重要伝統的建造物群保存地区に選定を受けた木曽平沢地区。「木曽の職人たちが文化財まで手がけられるのは、小物から大型家具まで柔軟に製作してきた歴史があるからでしょう」と太田さん。また、木曽漆器の職人は協調性もあるからこそ、産地として団結した仕事ができているそうです。
最近では昭和女子大学の学生とのコラボレーションによる、女性目線の商品開発も展開。1998年に開催された長野冬季オリンピックの入賞メダルがこの地で製作されたのも、職人たちのチャレンジ精神によるものです。
「“伝統工芸”というと“残していくもの”というイメージが強いのですが、木曽漆器は伝統的な技術など残すべきものは残しつつ、常にその時代のお客様のニーズに応えるため新しいものを取り入れていく、つまり継承され、進化を続けている“伝統産業”なのだと思います。だから、産地として常に新しい取り組みが生まれているのでしょう。今は漆器で使われる色の種類も増えたので、生活の中の彩りとしてちょっとしたところに漆器を使ってみてもらえたら」そう語る太田さんから、より多くの方々に新たな漆器を身近に感じてほしいという熱い思いが伝わってきます。
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独創的な「古代あかね塗」で、唯一無二の木曽漆器を制作~有限会社伊藤寛司商店~
木曽平沢では、各職人が日々工夫を凝らし、製作に励んでいます。なかでも、「古代あかね塗」という独特の塗りで異彩を放つのが、1830年創業の老舗「伊藤寛司商店」の伊藤寛茂さんです。
「『古代あかね塗』は、塗った直後は暗い朱色ですが、使い込むうちに艶と明るさが増していきます」と伊藤さん。漆の配合や顔料の比率、室(もろ)の中の湿度や乾かし方などに違いがあるとのこと。
誕生したのは、今から40~50年ほど前。きっかけは、木曽漆器の主力製品であった座卓が次第に日常の中で使われなくなり、製作の中心が小物作りにシフトする中で、先代である伊藤さんの父が、東京の某デパートから相談を受けたことでした。
「デパートのバイヤーから、従来の朱色より落ち着いた色合いの漆器ができないかと相談されたことがヒントになったそうです。先代と叔父が研究を重ね、1年ほどの試行錯誤の末に完成させました。私たちだけにしか出せない色です」
そんな「伊藤寛司商店」のこだわりのひとつが、最後の上塗りに、現在主流の中国産漆ではなく、高級で貴重な日本産漆を「天日手黒目(てんぴてくろめ)」で精製して使っていること。「天日手黒目」とは、木から採取した生漆(きうるし)を1日中、天日に当てながら手作業で攪拌し、徐々に水分を飛ばして透明度を高めていく手間のかかる精製法です。「伊藤寛司商店」では、毎年夏に「天日手黒目」を行い、その漆を上塗りすることで、より手触りがよく落ち着いた色合いの漆器を作っているのです。
この「古代あかね塗」のファンも多く、常連客からのリクエストに応えてパスタ皿を作ったほか、せっかくならとこのパスタ皿にも使用できる漆器のナイフとフォークを作ったこともあるそう。
「お客さんから『使ってよかった』『いつもの料理の味が数段よくなった気がする』といわれると、やはりうれしいですね。作り手冥利に尽きます」
伝統を大切に、柔軟性をもって製作を進める伊藤さん。これからも先代から引き継がれた新しいものを生み出すDNAにより、さまざまなこだわりの一品を生み出していくことでしょう。
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伝統と現代の技法で、木工と漆の新しい未来を~株式会社大河内家具工房~
漆塗りの四脚のお膳である「宗和膳(そうわぜん)」。その製作方法として、1枚の木材から脚を交互に組み合わせて無駄なく木取りをし、挽き曲げ(ひきまげ)という技法を用いた合理的かつ均一的な手法を大正時代中頃に考案したのが、木曽平沢の職人でした。この技術と独特のカーブの美しさに魅せられ、「NOKO(ノコ)」というブランド名で「宗和膳」の挽き曲げの技術を生かした現代になじむ新しい木曽漆器や生活用品を生み出しているのが、「大河内家具工房」代表で木曽漆器伝統工芸士でもある大河内淳さんです。
「お膳が今の生活様式で使われることはありませんが、これこそが木曽のアイデンティティであって、僕は宗和膳の形も素敵だと思っています。そこで、現代でも日々の暮らしの中で使ってもらうことで先人たちが培ってきた技術を未来につなげていきたいとの思いから『NOKO』を立ち上げました」これまでに弁当箱や、スツール、コーヒードリッパーなどをリリース。漆の塗り方も、木目がもつ素朴で温かな味わいが伝わる摺漆(すりうるし)の技法で仕上げています。
家具工房として木地作りから自社で手がけ、漆塗りまで行う”メイド・イン・木曽平沢”のものづくりが「NOKO」の売りのひとつ。評判は上々で、コーヒードリッパー&スタンドは、日本の優れた商品・サービスを発掘・認定し、国内外に発信するプログラム「OMOTENASHI Selection(おもてなしセレクション)2020」第1期において金賞を受賞するほどです。
そんな「NOKO」のこだわりは、昔ながらの技に加え、現代技術も生かし、産業として残していくこと。
「先人の伝統を残したい思いがある一方、属人的な職人技を継承していくのはとても大変なこと。そこで、挽き曲げ専用のプログラミングをしたNC工作機を使い、挽き曲げの挽き溝を作る作業をしています。機械化により手法をオーソライズ(公認)しておくことは、伝統を後世につなげていくひとつの方法だと感じています」
若い職人も伝統工芸に携われるとあって、同工房で働く5人の職人は全員が20~30代。今のライフスタイルに合わせた製品が生み出されています。
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いかがでしたか?職人が丹精込めて作り上げた美しい木曽漆器。近年は、ガラスや金属など異素材への漆の活用や、現代生活に根差した製品の開発も行われています。経年変化を楽しみながら、日常使いとして暮らしの中に取り入れてみませんか。ぜひ、サイトでチェックしてみてください!
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